帰宅したら、毎日野菜を収穫するのが日課になっています。

毎日最低これくらい。
今はトマト、キュウリ、ナス、ミョウガといった感じです。
あ、シソの葉やブルーベリーも摘みとっていますね。
日々食べ頃になった野菜を収穫するのは楽しみでもありますし、散水具合があるので天候に敏感になります。
(釣りや潜りをしているので、あまり野菜は関係なく天候には気を使っているのですが)
野菜は大抵同じ時期に熟すので、少しずつ日数がずれるといっても毎日同じ野菜を食べ続けることになります。
生で食べるにも加熱して食べるにも調理方法に限界がありますし、そのままだと傷んでくるので、漬物やトマトソースを作って保存しておきます。
加工食品や保存食ってこうやって生まれてきたのだと思うと感慨深くなりますね。
一昔前は冷蔵庫なんてなかったから、加熱するか干すか燻すか塩漬けにするか乾燥させるか…。
漬物や燻製や干物なんてものを見ると、いかに食料を安定して得るために人類が苦心してきたかが偲ばれます。
私なんかは趣味の家庭菜園で、台風で倒伏しても、虫に食われても、有害動物(主に我が家のワンコ達。笑)に齧られても気楽なもんですが、これが専業農家さんだと思うと宮沢賢治の詩を思い出しますね。
少し紹介いたします。
【宮沢賢治『雨ニモマケズ』】雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋からず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたいいつも欲深く目を三角に釣り上げて野生鳥獣や魚を追い求めている上に、色々な事に腹を立てている私は、絶対にこういう人間にはなれません。
時々そんな事を想いながら、仕事終わりの夕暮れを眺めながら野菜に水を撒くのでした。
でも、この状態は「美味しい野菜を食べるために一生懸命私達に水を与えなさい!」と、野菜が人間の行動を支配しているとも言えますね。
そう考えると主従関係があやふやになりそう。
まあ、そんな事を考えること自体が暑さでちょっと頭が回らなくなっている証拠でしょう(笑)。
日々の水やり頑張りま~す!!
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「あっ!寒さの夏はオロオロ歩き!」
久しぶりに手応えあったなぁ・・・。
まさか翌日その詩に出会うとは。ありがとうございます。
我が家はお米食いの家ですが夫婦二人で1日1〜2合、お米生産農家がしんどいわけです。
何度かこのブログでもそのことについて触れました。
祖父や親父から聞いた「食べられない時代」があったことが、このブログを書くきっかけの一つになりました。
そのせいで、この詩を読むと胸に来るものがあります。
お米以外食べる物が無かった環境だったのかもしれませんね。
私も潜りのキャンプでは一日五合のご飯を食べていました。
若くて体を動かしていたからなんでしょうけれど、今はとても無理です。