最初は5羽いたけれど、最後の一羽になってしまったホシノさん(ホシノブラックというニワトリの品種)。

昨日、お亡くなりになりました。
ペットではなく家禽として、庭の除草と採卵のために飼い始めたのですが、一羽一羽とお亡くなりになり最後に残った一羽です。
(ご高齢なので、当然卵も産めません)
「他のホシノさん達はすでにお亡くなりになってしまったけれど、キミだけずいぶんと長生きだね。エサの奪い合いをせずに良くなったから、ストレスフリーになったのが原因かな?」
そんなことを思っていたものですが、生命の真理には抗いようもなく、数日前からほとんど動けなくなっていたのです。
目がハッキリと開いていません。

「時が来たか…」
最後の1羽はちょうど5年生きました。
私は小さい頃から周囲に生物がたくさんいた環境で育ったので、生き物の死を身近に体験して育ちました。
「生き物は必ず死ぬ」
ということも当たり前の事として受け入れています。
親父が狩猟をしていたし、私自身も魚釣りや潜って魚獲りをして捌いて食べていたので、命と食の繋がりは自分の中に自然な形で存在しています。
ニワトリを飼うことに関しても、幼少時に母親の郷里に行って親戚が集まると「鶏を潰して食べよう」というのが習慣でしたし、「ニワトリは庭の草」という別名があったくらいです。
(何もせずともそれくらい勝手に自家繁殖して育っていた)
実際、ホシノさんを飼い始めた時にお袋が「まあ!正月のガメ煮(筑前煮)用にちょうどいいわね♪」と言ったものです(実話)。
なので最初は「卵を産まなくなったら絞めて食べよう」と当たり前に思っていたのですが、飼い始めると情が移って食べることができず…。
私が庭に出ると「ねえねえ、何か美味しいものくれるんでしょ?コッコッコ…」と、ゾロゾロと後を追いかけて来ていましたしね。
「まあ、卵を産めなくなっても草抜き要員として好きに生きるといいよ」
と言う感じで放置。
目に見える空間で生き物が放し飼いになっているのを見ることは、私にとって自然な事でした。
最後のホシノさんの亡骸を埋葬し合掌…。
「たくさん卵を産んでくれてありがとうね」
そして庭を見渡します。
「さあ、今年も暑い時期が目前だ。かなり雑草も茂ってきたしどうしよう…」
ニワトリ除草に頼っていると楽なので、もはや人力で除草をしようとする気力すら湧きません。
まだ鶏糞や腐葉土が効いている場所なので、次のニワトリを飼うまではホシノゾーンに野菜畑でも作るかな~。
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僕もできませんねぇ。
それだけ食が豊かになったと言うことでしょうか。
いま裏の竹の子を刈ってきました、
ニワトリ、竹の子も食べてくれるなら飼おうかな?
大事にされて幸せたっだったと思います。
ウチにも時期をずらして何羽かいましたが、すべて何らかの事故で天寿を全うした鶏は居ませんでした。
ニワトリを飼いたいと言う気持ちが炭火のように消えません。
夏の雑草退治はアレじゃないですか?
♪ワンダバダ、ワンダバダ♪・・・
実家でチャボを飼っていたのでホシノさん達の活躍が楽しみでした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
大きくて目立つオスから絞められていた気がします。
タケノコは育つの速いですからね。
どうでしょう?
やっぱり飼ってみないと分からないという事で、是非飼ってくださいな♪
ニワトリかなり良いですよ~。
なにより見ていると退屈しません。
早くもニワトリロスになっている私が言うのだから間違いありません!!
でもニワトリ飼育楽しいですよ。
雑草はしばらく人力で頑張ります♪
5年も飼っていると、そこにいるのが当たり前になっていて、早くもロス状態です。
次のニワトリも考えていますが、ちょっとホッとしたというのも事実です。
まずは雑草を蔓延らせてみます♪
まあ、放し飼いで思いっきり伸び伸びと過ごしたと思うので、何も後悔はないです。
はい、何もいなくなった庭を見ると淋しいです。
ヤギも良いですね~。
次はヤギミルクを目指そうかな!?
ホシノさんネタには随分と楽しませて頂きました。
雌鶏は思いのほか短命ですよね。
それだけ産卵にエネルギーを使っているんでしょうね。
改めて卵が尊い食べ物であることに気が付きました。
もっと心して卵を頂きたいと思います。
そして本当の美味しさも…。
色々な点でホシノさん達が教えてくれたことは大きかったですね。