鳥撃ちの移動時に車を走らせていると、道路横の林の中で何かが動いたような気がしてUターン。
(見えてしまう自分がイヤ)
「あれ?なにもいない。気のせいか…」
と思っていると、木の間に子イノシシ発見。

やっぱりいた!
15kgほどの子イノシシ。
「子イノシシだけか…。親とはぐれたか、親イノシシを巻狩りか罠猟で獲られちゃったかな?」
しかし車を停めて写真を撮っていると、なにか動き方が変。
「ん!?括り罠にかかって足を痛めているのか?」
「いや、違う。罠や銃による傷はない。それに足を痛めているんじゃなくて腰から下が全く動いてない…」

車を停めた横の道路は、田舎には珍しくそれなりの交通量があり、信号機もないので結構なスピードで車が走っています。
「車にはねられたな。そして下半身麻痺になって親から見放されたんだ…」
よく見ると下半身は痩せ細り、引き摺って歩くので膝が擦り剝けています。
「どうしよう…。
自分が狩猟で手傷を追わせて半矢になったのだったら責任をもって仕留めていただくけれど、これはどこの誰とも分からない車がはねたイノシシだ。
はねられたのもこの子イノシシの自己責任とも言えるし、弱肉強食が野生の掟…。
エサも満足に獲れないし一時的に生き延びたとしても衰弱死するのは間違いない。
ここは苦しまないように刺し止めてやるのがせめてもの慈悲だろうか?」
そんな事を考えていると、子イノシシは転がるようにして谷底へ下っていきました。
未だにどうすればよかったのか分かりません。
色々と考えてしまいました。
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私も欲しくないなら構わない派です。〆てくれと頼まれれば考えますが(動物がそんなことを言うわけないですね)。
自然の治癒力は偉大です。
案外下半身を引きずりながら
逞しく生き残ることがあるかもしれません。
(近所にいた疥癬で瀕死状態の狐も、半年たってもボロボロのまま
逞しく生きております。)
僕なら、レット・イット・ビーですね。
あるがままに、そのままに。キリスト教的なら『御こころに従うままに』。自然界なら自然界の掟のもとに。ブログの中の親が見放した、親が見捨て、ここに一つの答が有るように思います。ただ、縁あって出会った子イノシシと思えば何とかしたいのも人情ですね。
衰弱死するのも病死するのも自然の摂理なのでしょう。
でも、ゴロゴロと斜面を転がっているのを見るといたたまれなくなったのです。
猟師として甘いですかねぇ…。ハハ。
今年もよろしくお願いいたします。
そうですね、やはり野生の生き物なので自然に生き、自然に死んでいくのが摂理ですかね~。
それでも色々と考えてしまいました。
コメントありがとうございます♪
私もいつも拝見させてもらっています。
読み逃げばかりでスミマセン。
そうですね、時には罠から逃げて3本足や2本足で生き延びている個体もいますしね。
活きるか死ぬかはそのイノシシの持った定めなのでしょう。
これからもよろしくお願いします♪
でも言われる通り「何とかしたい」と思ったのも事実なのです。
普段はイノシシを殺しているのに矛盾だらけですね。。。
殺生ばっかりやってて、こんな考えはおかしいのかもしれませんが・・・。
私自身も年を取り、だんだん撃つ瞬間にいろいろ考えるようになってきて・・・。
まあデカい猪はガンガン撃つんですけどね・・・。
そうなんですよ。
「なんとかしてあげたい」と思う私は猟師失格ですかねぇ~。
まあ、色々な考えがあっていいかと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
piroroさんの真意は分かっているつもりです。
私もそういった考えにも賛成です。
色々な意見があって良いのだと思いますよ♪
可哀想だから生存率が低いイノシシを見逃すより、五体満足なイノシシを獲る方が、もっと可哀想とも、考えられます。
狩り自体が、そもそも、可哀想な事をしているのですから、考えていたらきりがありません。
私の考えは、獲れるものは獲る。そして出来るだけ食べて命は繋いでいく。
そうですね、少し時間が経って「シンプルに考えればいいのだな」と思っています。
狩猟ってそんなものですよね。
ありがとうございます。
はい、私も普段はあまり考えません。
今回はちょっと考えてしまいましたが、狩猟をやっている立場でシンプルに考えるようにしたいなと感じました。
これからもよろしくお願いします♪