刀匠(刀鍛冶)の方のお話を聞く機会があったので拝聴してきました。
ハンターをしていると日常的に刃物を使用しますし、単純に興味があったからです。
実はハンターになるずっと以前から物作りをする職人という仕事に憧れていましたし、その中でも鍛冶屋は最も興味のある分野でした。
話をお聞きした刀匠のお名前は瀬戸吉廣さん。

〈プロフィール〉
刀匠 瀬戸吉廣
昭和21年生まれ。大分県出身。久留米大学卒業後、サラリーマン生活を経て、人間国宝隅谷正峯氏に入門。文化庁長官賞や毎日新聞社賞など数々の賞を受け、人間国宝に次ぐ無鑑査刀匠。伊勢神宮の式年遷宮に二度直刀を奉納するなど日本を代表する名工の1人です。
会場の様子はこんな感じ。

おお、陣幕が張ってあってなかなかの雰囲気。
それに刀造りに使用する様々な道具が並べられていますね。
左下にある木箱は鉄を鍛える時に使う鞴(ふいご。風を送る装置)で、木箱の外側と内側の可動部分(エンジンでいうとピストン部分)の隙間に空気が漏れないようにタヌキの毛皮が張られています。
実は展示されている道具の中のこの鞴だけはミニチュアで、司会進行を務めた私の友人が刀匠に憧れ大学時代に作ったもの。
この鞴を見た瀬戸さんが「変わった人がおるなぁ」と思って、この会が実現したとのこと(笑)。
さてさて、お話が始まり刀匠の瀬戸さんのプロフィールから。
瀬戸さんは大学卒業後、サラリーマンをされた後に刀鍛冶になったという異色の経歴の持ち主。
時々クスッと笑えるような話を交えながら、穏やかな口調で日本刀の歴史や変遷などが語られます。
本来人を殺す武器として造られたものが、なぜ芸術にまで高められたのか。
なぜ日本人は刀に惹かれるのか。
「本来、種子島(鉄砲)が伝来した時点で、日本刀というものは武器としての役目を終えて用無しになった訳です。
しかしその後鉄砲は全く進歩することなく、逆に日本刀はすっと進化し続けてきた。
それはやはり刀がどこかで日本人の在り様というか心の支えになってきたからだと思うんです。
日本人が帯刀していた時代は常に刀を大切にし、真摯に向き合ってきた時代。
鞘当てが無いように、どんな人込みでも整然と左側通行が行われていた。
それが帯刀しなくなった明治時代になると途端に、道の歩き方の秩序も無くなって、政府がわざわざ左側通行を励行しなければならなくなったんです」
次に日本刀の作り方。

真ん中下にある「ゴロッ」とした塊が材料となる「玉鋼(たまはがね)」。
砂鉄を原材料として、たたら製鉄で作られるもの。
「日本刀の歴史の中で一番優れていたものは鎌倉時代のもの。現代の刀匠の誰もがこの時代のものを参考にし、再現しようとしているけど分からないことだらけなんですね。
元素分析などの技術を使って解析すると、現代の技術ではどうやっても作れない事がはっきり分かるんです。
時代が違うと言ってしまえばそれまでなんですけれど、これだけ科学が発展した現代でも昔の人が作れていたものが作れない」

(短刀を手にお話をされる瀬戸さん)
そして瀬戸さんの仕事場の写真と共に日本刀の製作工程が映し出されます。
「鉄(玉鋼)を沸かして(熱して)いくんですけど、大切なのは中心温度。表面温度ではなく常に鉄の中心温度のことを考えながら造っています。
そうじゃないと刀にした時に全く粗悪なものになってしまいます」
なんか一人の社会人として、命と向き合うハンターの一人として心に沁みる言葉ばかりでした。
講演が終わり瀬戸さんと少し話が出来る機会があったのでお聞きしました。
「刀匠をやってて一番良かったと思えることって何ですか?」
ウーンと考えた後、
「上手くいかんことです。作っても作っても上手くできない。やっている内に目も肥えて益々自分の刀の欠点も見えてくるから嫌になる・・・。
だから次こそは!と精進しようと思えることですかね。
まあそこが一番辛いところでもあるんですけど・・・。アハハ!」
と笑う瀬戸さん。
大変貴重で面白いお話をありがとうございました。
そして会場を後にしてコインパーキングに向かうと、両手にスイカを持った青年。
「どこかで見た顔だなぁ」と思っていたら、脱サラをして専業農家をしている友人。
スナックにスイカを届けに行く所とのこと。
「お久しぶりです。なにしてるんですか、こんな所で!?」
「刀匠の方の話を聞いてきたんだ。元気に頑張っているみたいだね」
「生活はカツカツです。でも色々なことがあって面白いですよ♪」
日焼けした人懐っこい顔でニカッと笑う彼。
うん、いい笑顔だ!! 応援してるよ♪
なんだかとても良い夜でした♪
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農業でも料理でも同じですね
良いものを作ろうとする人間に共通する思いですよね
ただ 使えないのが残念だ。
かなりデカい
以前ブログでアップしたけれど
再度、FBでアップしてみようかな?
鍛冶屋さんもやって見えたような旧家でした
日本人の技巧を極めようとの思いの結晶なんでしょうが、一金属加工を生業とする端くれとしては
一度は本物と言われるような代物を、触れられるような距離で地肌とか見てみたいです。
何事においても常に精進できるように!と刺激をいただけました。
現代においては「武器としての役割は終わって美術品」という位置にありますから使えませんね。
今回のお話では、武器として使用した時代の形状の変遷などが聞けて大変おもしろかったです♪
優れた鍛冶屋の技術は武家社会において貴重な財産だったのでしょうね。
また、鍛冶屋の技術に関しては殆ど文献が残されていないということも話されていました。
伝承されなかったというより、故意に技術を封印したのだろうなと感じました。
このふいごもそんなに古くからあるものではないようで、鎌倉時代はどうやって火造りしていたのか?ということも分かっていないようです。
道具の移り変わりも面白いですね♪
色々なことに刺激を受けた夜でした♪